小人閑居

「ベストセラー」より「知る人ぞ知る」といった本を紹介していきたいと思います。

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アッタマばっかりでも、かっらだばっかりでも、ダメよね♪

センス・オブ・ワンダー
   レイチェル・カーソン
   訳:上遠恵子  写真:森本二太郎
     新潮社


「沈黙の春」の著者の作品、と言えばピンとくる人も多いだろう。
そのレイチェル・カーソンの遺言とも呼ぶべきもの。

「沈黙の春」を書き終えた後、「あなたの子供に驚異の目をみはらせよう」というタイトルで雑誌に寄稿した記事をふくらませて単行本にしようとしていたが、果たせないまま他界。
友人達がその原稿を整え、出版したものが本書、と訳者あとがきにある。

実際、1時間足らずで読めるので、手軽だが、決して薄い内容ではない。
甥(正確には姪の息子)と海辺や森、星空を眺めた経験を元に、自然に対する感受性を大切を説いた作品。

タイトルの「センス・オブ・ワンダー」とは「神秘さや不思議さに目をみはる感性」という意味で使っている。
恥ずかしながら、この本の事を知る前は、SF者が「未知のものに出会った時の驚異の気持ち」という意味で使う言葉だと思っていた。
(ちなみに、これは自分の勝手な定義。人によって微妙に違ったりする。)

著者は「知る」ことより、「感じる」ことを大切にしよう、と語っている。
見かけた植物や、動物の名を知ることは、なにかと便利なので、「知る」ことにこしたことはないが、それよりまず、植物なら、形、色、匂い、動物ならどんな姿で、どんな色で、何をしているか、を五感を使って、感じる事を大切にしよう、「知る」のは、その後でもいい。
ただし、「知る」ことを否定しているわけでもない。

著者は甥に、見かけた植物や動物の名前を教えたことは無かったが、甥自身がどこからともなく知識を仕入れていたらしい。

大事なのは、まず「感じる心」、興味を持てば「知る」事は本人が勝手にやるので、周囲の人間は、そのための環境を整えるくらいでよい。
「感じる」ためには「センス・オブ・ワンダー」を持っていなければ、そもそものきっかけさえ無い。

「センス・オブ・ワンダー」という言葉こそ知らなかっただろうが、似たような考えを持っていただろう、と思い当たる人達がいる。
「雪は天からの手紙である」(雪の結晶の形は、上空の気温や湿度等によって決まった形になる。逆に言えば、雪の結晶の形から上空の気温や湿度等が分かるので、雪は文字通りの”手紙”である。)と語った中谷宇吉郎。
その先生にあたる寺田寅彦も火山岩を見て、この石ころ一つの中にも地球創生の秘密が書かれている。ただ自分達は、その言葉を読む方法を知らないだけだ、といった旨の事を言っている。
また、「ご冗談でしょう、ファインマンさん」(岩波現代文庫)で、物理学者のファインマンの父は、正に著者と同じ事を言っていたのが描かれていた。
ファインマンも「いつでも好奇心いっぱいだった人物」と言われていたらしい。

人に聞けば、おそらくもっと名前が出てくるだろう。

この「センス・オブ・ワンダー」は、大人になると無くしていく人が多いが、蘇らせたり、持ち続ける事ができる、という。
今、目にしている光景が、もし二度と見られないものだと考えてみたりするといいらしい。

そんな大上段に構えなくても、いつも自転車で通っている所を歩いてみたりするだけでも見えてくるものが違ってくる。
近所に、こんなにいろいろな花があったのか、こんなにいろいろな鳥がいたのかとか。

そういう事に気が付くと、遠くに行ったり、特別な事をしなくても、面白い事はたくさんあることが分かる。
(まあ、遠くに行ったり、特別な事は、それはそれで面白いが。)

脱線してしまったが、この本を読んで頭をよぎったのは
「アッタマばっかりでも、かっらだばっかりでも、ダメよね♪」
というフレーズ。

プチダノン(ヨーグルト)のCMで流れたフレーズ。
ある一定年齢以上の人なら、聞き覚えがあると思う。
(分からない人はコチラ。https://www.youtube.com/watch?v=iI3VizGNE4Q)

最近、我が家で実はアレは、深い事を言っていたのでは、と話題になったりする。
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人のふり見て、我がふり直せ

言いたいことが伝わる
 上手な文章の書き方
  安藤智子
   秀和システム


読んだ本の感想をネット上に掲載する、という事をやっている関係上、「分かりやすい文章」というのは常に気になるので、こういう本には、ついつい反応してしまう。

が、その本の感想を書くとなると、いつもより気をつかう。
内容が分かりにくかったり、日本語としておかしな表現があったりすると、みっともないから。
(・・・と心配するほど、自分の感想が注目されている訳ではないが)

 :
閑話休題
 :

本書の構成だが、各章や各節で、最初にポイントとなる部分を解説し、その後は、「(悪い)例文」と「改善例」が並ぶ、「人のふり見て、我がふり直せ」方式。
(「はじめに」の部分で、そのように書いてある)
ところどころで「(悪い)例文」の悪い点が明確になるように、「文章中、●●したいのは誰ですか?」といったような「クイズ」が出される。

「(悪い)例文」のおかしい部分は、すぐに分かるようなものから、ちょっと考えないと分からないものまで様々。

中には、どこがおかしいの?と思うようなものまであった。
無論、自分の勉強不足によるものだが・・・。

ポイントとして挙げている内容は、基本的な内容という感じがする。
だからこそ、できていないと文章がヘンになるのだろう。

ただ、文章を書く時、常に意識できるかは・・・。
(↑あくまで個人の感想です)

妻をたずねて三千里


日の鳥
 こうの史代
  日本文芸社


行方不明になった妻を探し、東日本(というか東北地方)を訪ね歩く一羽の雄鶏。
なんとなく妻がいる気がしたから、というのと、雄鶏の本能として、どうしても"東"に惹かれてしまうらしい。

・・・という体で、著者が訪れた東日本大震災の被災地の様子がイラストで描かれる。
震災から五ヵ月後の釜石・大槌から始まり、二年半後の鹿角・盛岡まで。(一部、東京も)

震災の傷跡も生々しいイラストもあるが、雄鶏のとぼけたモノローグで、オブラートに包まれている。
ニュースで数多く報道された光景もあるが、著者らしく、ほとんどは日常の風景。

月日が経つに従って、「傷跡」のイラストは少なくなっていくが、それは、復興が進んでいるからというという訳ではない。
震災から2年後の仮設住宅のイラストがあるが、なんとなく「住み慣れた」感が感じられてしまう。
そして、今も仮設住宅に住んでいる人は、まだまだいる、という事実。

「復興は終わってなどいない」
という事を、あらためて思い知らされる。

ちなみに、雄鶏の妻の人柄・・・いや鳥柄、同音異義語に問題があるので、「為人(ひととなり)」ならぬ「為鳥(とりとなり)」は・・・。
「そのむかし
 夜空を走る鉄道を見た人がいたという
 列車には亡くなった者を乗せているという

 妻を思うと胸が騒ぐ

 妻が、もしかしたら妻が・・・

 たたき落としたりしないかと・・・」

その他、デコボコになった歩道や、曲がった鉄柱を見る度に、妻の仕業かと心配したりするので、かなりの「武闘派」らしい。
再会できない方がいいのではないか、という気さえする。

大いなる嘘

虐殺器官
 伊藤計劃
  ハヤカワ文庫


若くして亡くなった作家、伊藤計劃(いとうけいかく)のデビュー作。

著者の作品は、かなり高く評価されているので、前から気になっていた。
ただし、タイトルの「器官」の部分が「機関」だったら、あまり読む気にならなかっただろう。

ストーリーは「テロとの戦い」のため、先進諸国は徹底的な管理体制に移行した近未来。
発展途上国では、内戦や大量虐殺が急激に増加していた。
しかも、一旦、混乱が収まり、これから正常に発展していけそうになった途端、なぜか内戦や大量虐殺が発生している。
どうやら、その陰には、ジョン・ポールという1人の人物が関わっているらしい。
米軍特殊部隊隊員である主人公、クラヴィス・シェパードは、軍の命令で、ジョン・ポールを追う・・・。

主人公は「特殊部隊隊員」という設定ながら、
「ぼくは言葉が、人を規定し、人を拘束する実体として見えていた」
と思ったりするような性格で、まるで文学青年。
これでよく特殊部隊の隊員として務まったな、とツッコミを入れたくなる。

印象に残ったのは、クライマックスでのワンシーン。
先進諸国の人々が信じている「ある事」は、実は「大いなる嘘」というのが判明してしまう。
皆が望んで始まった事が、実は全く意味がない。
が、その「仕組み」は、あまりにも巨大なモノになり、いまさら止める事などできない。

「嘘っぱちだろうが、なんだろうが、既に走り始めたモノは、紛れもない本物だ」
という主人公の同僚のセリフにドキッとした。

とある自然災害で、バレた「嘘」を連想させるから・・・。
(ちなみに本作は「とある自然災害」が発生するより前の2007年に発表されている。)

ところで、ジョン・ポールの方も単純な「悪役」ではない。
「狂人」でもなく、「悪の天才」でもなく、考え方だけなら、むしろ主人公に近い、と言えるかもしれない。

特に大量虐殺に関わる動機を語るシーンでは、哀しい人物に見えてきた。
人は何かを為す時には、必ず「犠牲」が必要なのだろうか・・・。

本作を読んで、伊藤計劃の他の作品にも、俄然、興味が出てきた。
作品数自体が少ないのが、残念だが。

並行宇宙いろいろ

隠れていた宇宙  上・下
 ブライアン・グリーン 著
 大田直子 訳
 竹内薫 監修


「並行宇宙」の事を扱った本、と言うと、SFが思い浮かぶだろうが、本書は物理学の一般向けの解説書。
「宇宙は、一つではないのではないか?」という話は聞いた事があるし、本も読んだ事がある。

本書でも他の宇宙が紹介されるが、それは一つではない。
この「一つではない」というのが、一番、驚いた。

紹介される宇宙は、
「パッチワークキルト多宇宙」
「インフレーション多宇宙」
「プレーン多宇宙」
「サイクリック多宇宙」
「ランドスケープ多宇宙」
「量子多宇宙」
「ホログラフィック多宇宙」
「シミュレーション多宇宙」
といったもの。

最後には、これらを全部ひっくるめた「究極の多宇宙」というものまで出てくる。
まるで、ヒーロー物のマンガ、アニメに時折、登場する「それまでの敵の能力を全て使える敵」のよう。

これらの多宇宙については、おそらく分かりやすい順で紹介されていると思う。
が、それであっても途中から、ちゃんと理解できているか、自信が持てなくなった。
ただし、本が難解だ、という訳ではなく、その説を支える考え方が、普段、あまり馴染みの無い考え方なので、とっつきにくいだけだと思う。

本書に登場する宇宙は、物理学の理論から、「そのような宇宙が存在してもおかしくない」という宇宙ばかり。
著者も言っているが、「これは本当に科学なのか?」という気がしないでもない。

それにしても、フィクションの専売特許だった「並行世界」が、物理学の研究対象になるとは・・・。

これらの内のどれか、または全て、もしくは、全く別の並行世界の存在が証明される日が、いつか来て欲しい。
例え直接、観測する事が不可能であるとしても。

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