小人閑居

「ベストセラー」より「知る人ぞ知る」といった本を紹介していきたいと思います。

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妻をたずねて三千里


日の鳥
 こうの史代
  日本文芸社


行方不明になった妻を探し、東日本(というか東北地方)を訪ね歩く一羽の雄鶏。
なんとなく妻がいる気がしたから、というのと、雄鶏の本能として、どうしても"東"に惹かれてしまうらしい。

・・・という体で、著者が訪れた東日本大震災の被災地の様子がイラストで描かれる。
震災から五ヵ月後の釜石・大槌から始まり、二年半後の鹿角・盛岡まで。(一部、東京も)

震災の傷跡も生々しいイラストもあるが、雄鶏のとぼけたモノローグで、オブラートに包まれている。
ニュースで数多く報道された光景もあるが、著者らしく、ほとんどは日常の風景。

月日が経つに従って、「傷跡」のイラストは少なくなっていくが、それは、復興が進んでいるからというという訳ではない。
震災から2年後の仮設住宅のイラストがあるが、なんとなく「住み慣れた」感が感じられてしまう。
そして、今も仮設住宅に住んでいる人は、まだまだいる、という事実。

「復興は終わってなどいない」
という事を、あらためて思い知らされる。

ちなみに、雄鶏の妻の人柄・・・いや鳥柄、同音異義語に問題があるので、「為人(ひととなり)」ならぬ「為鳥(とりとなり)」は・・・。
「そのむかし
 夜空を走る鉄道を見た人がいたという
 列車には亡くなった者を乗せているという

 妻を思うと胸が騒ぐ

 妻が、もしかしたら妻が・・・

 たたき落としたりしないかと・・・」

その他、デコボコになった歩道や、曲がった鉄柱を見る度に、妻の仕業かと心配したりするので、かなりの「武闘派」らしい。
再会できない方がいいのではないか、という気さえする。
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健康に感謝

無菌病棟より愛をこめて
 加納朋子
  文春文庫


人気ミステリ作家、加納朋子。
体調が悪いので、病院通いを始めた結果、2010年6月7日、「急性白血病」と診断される。
そして、緊急入院。

本書は著者本人による闘病記。

恥ずかしながら、著者の作品は「モノレールねこ」しか読んだ事がないので、ネットで「ミステリ作家」と紹介されていても、個人的には「?」となるばかりだった。
(「モノレールねこ」はミステリではないので)

闘病記、というもの自体、ほとんど(というか全然)読んだ事がないので、重い内容かと思ったが、それほどでもない。
勝手に予想していた「悲壮感満載」というものではなかった。

ただし、軽い内容だけではなく、読むだけでも、痛くなりそうな部分もかなりある。
なんだか自分も体調が悪くなり、グッタリしてしまうのではないか、と思ってしまう時もあった。
が、どこか「柔らかい」のだ。
そういえば、「モノレールねこ」の時も同じような事を感じた。

化学療法を始めて、頭髪が抜け始めると、
・「ハゲ」という言葉は使用禁止
・「励む」「励み」は、ギリギリセーフ
・「励ます」は前後の文脈から、誤解を招かないか慎重な検討が必要
といった「ルール」を作ったりしている辺りは、噴きそうになった。

ただ、入院生活は決して、お気楽なものでなく、肉体的、精神的にツライ、という事も多々、書いてある。
いや、むしろツライ事の記述の方が多い。
だからこそ、少しでもユーモアを忘れたくなかったのだろう。

自分なら、あっという間に「イジケモード」に突入する自信がある。

ひとまず「健康」である事に感謝。
「予備群」だったり、小さな「故障」があるにしても。

弟子、師匠を語る

寺田寅彦  わが師の追想
  中谷宇吉郎
    講談社学術文庫


寺田寅彦は戦前の物理学者であり、随筆家であり、俳人であった人物。
夏目漱石の「吾輩は猫である」の水島寒月、「三四郎」の野々宮宗八のモデルとも言われている。

発想がユニークな人で、個人的にも好きな人物であった。
タイトルは忘れてしまったが、通勤ラッシュ時の電車でも確実に座れる方法の考察や、全く異なる言語の単語が発音も意味も同じになる確率の考察が書かれた随筆など、非常に面白かった。
それに「茶わんの湯」という随筆は、和製「ロウソクの科学」とでも呼ぶべきもので、引き込まれてしまった。

本書は、寺田寅彦の弟子、中谷宇吉郎による追想録。

著者の中谷宇吉郎は人工雪の研究で世界的に有名な人物。
「雪は天から送られた手紙である」という言葉は一度は聞いた事がある、という人が多いだろう。
この研究については、「雪」という本に詳しく書かれているので、割愛するが、この雪の研究自体、寺田寅彦の影響を多大に受けた結果とも言える。

本書は一部、二部で、寺田寅彦の人となりを現すようなエピソードが収録されていて、三部では、有名な「墨流しの研究」に関わる論文と、「物理学序説」(未完)のための、覚書が収録されている。

個人的な印象では、寺田寅彦、というと研究面では(悪い意味でなく)文人趣味的な研究テーマばかり扱っていた、という印象があったが、本書から見えてくるのは、最新の物理学を頭にいれた上で、そういった研究テーマを扱っていた、という姿。
大勢の前では小さくなってしまうそうだが、ほんの数人が相手であれば、「自分の研究は、どれも10年は先をいっている」と、気焔を上げる事もあったらしい。
(実際、その通りなのだが)

本書で何度か言及される「球皮事件」(軍から依頼された事故原因の調査の仕事)では、関係者が原因の候補さえ思い浮かばないうちに、事故原因の見当をつけ、検証の結果、まさにその通りだった、という事があった。
変な研究ばかりしている人ではなかった、と思う反面、一流の科学者である事の証、と誇らしく思えた。
・・・と、こんな偉そうな事を書いてしまうと、関係者に怒られてしまいそうだ。

一番、印象に残っているのは、「物理学序説」の部分。

使っている用語が難しく分かりにくいのだが、本書の解説に記載されている事の力も借りると、寺田寅彦は、この「物理学序説」で
「物理学は"分析"に偏りすぎている。
それでは細分化されるだけで、相互の関係が分からなくなる。

全体を見る人がいなければ、本来の意味での物理学、つまり"物の理(ことわり)"を扱う学問ではないのではないか」
という事を言いたかったらしい。

この言葉、物理学に限らず、今でも他の分野で通用する気がする。

脇役の大活躍

ARMS 5
 皆川亮二
 七月鏡一(原案強力)
  小学館文庫


主人公達の住む街、藍空市を舞台とした、(自称)超人部隊レッドキャップスとの戦いの後半戦が主。

前巻のラストで新宮隼人(主人公の仲間)のARMS「騎士(ナイト)」の完全体が登場した事に引き続き、巴武士のARMS「白兎(ホワイトラビット)」も完全体が姿を現す。

高槻涼(主人公)が戦うのだろうと思われた敵を「騎士(ナイト)」が倒してしまう、というのが、少し意外だった。
主人公と、その敵の因縁は、ちゃんと描かれているのに・・・。

記憶違いかもしれないが、今後、こういうパターンは何度か出てくる。
作者は狙ってやっているのか、話の流れ上、こうなってしまったのか・・・。
「騎士(ナイト)」と「白兎(ホワイトラビット)」の初登場のエピソードなので、この2人(?)を目立たせるためには当然なのかもしれない。

ちなみにレッドキャップスとの戦いで、主人公のARMS「魔獣(ジャバウォック)」は、あまり活躍の場がない。
むしろ、敵に撃ち込まれたコンピュータウィルスにやられて(ARMSは一種の人工知能プログラム、という設定)崩壊しそうになるほど。

これまで「魔獣(ジャバウォック)」は敵味方から"脅威"と見られていただけに、あまりの脆さにビックリしてしまう。
この後のエピソードでは、敵は、この攻め方をしなくなってしまうが、何故だろう?
・・・というツッコミはしてはいけないのかもしれない。

「騎士(ナイト)」「白兎(ホワイトラビット)」以外で、主人公以上にいい所を見せるのは、兜光一刑事。
前巻では、市民が主人公達を襲う「暴徒」になるのを防いだが、この巻ではカッコいいセリフを吐くシーンがある。

「軍隊と警察の違いが分かるかい?
軍隊は敵軍に降伏してもいいんだ。そのための国際条約もある。

だがな、警察は違うぜ。
警察は決して犯罪者に降伏しちゃいけないのさ!」

「自称」とはいえ、相手は「超人部隊」
個人の能力も装備もレッドキャップスの方が上で、冷静に分析すれば、勝ち目はない。

が、「警察が組織的に"犯罪者組織"を排除しようとしている。」(それどころか相手の油断につけこんだ結果とはいえ、善戦している)という事実が、市民のパニックを防ぐ。
そして、その事がレッドキャップスの作戦を狂わせる要因の一つになる。

普段、目立たないキャラが活躍するシーンがあると、なんだか弱い。

関心の持ち方一つ

とりぱん 16
 とりのなん子
  講談社


身の丈ワイルドライフを自称する著者のコミックエッセイ。
相変わらず理解できない人には、全く面白さが伝わらないタイプのマンガ。

そんなマンガであっても、16巻目に突入。
1巻の出版が2006年であるから、かなりの長期連載のマンガとなっている。

ドラマチックな展開がないからこそ、ここまで続いているのだろうか。
日常生活にドラマチックな展開が、たくさんあっても、それはそれで疲れてしまうが・・・。

毎回、感じるのは、作者の観察眼の鋭さ。
いつもの日常だとしても、関心の持ち方一つで、見慣れた光景でも新鮮なものに見える、といういい例だろう。

翻って、自分は、どれほどのものを見過ごしているのだろうか、と少し不安になる。

ところで、今回の巻では、カルガモ親子の話題が出てくる。(全体のほんの一部だが)
今年は、自分もカルガモ親子の観察ができたので、その姿が重なった。

描かれているチビカモの様子を見ると、作者の暖かい眼差しまでもが分かるような気がする。

暑いと昼間は外に出る気力さえなくなるが、朝晩、「秋の気配」を感じるか、ちょっとだけ気にするようにしたい。
無論、見たり、聞いたりするだけでなく、味わう方でも。

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