小人閑居

「ベストセラー」より「知る人ぞ知る」といった本を紹介していきたいと思います。

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昔の名前で出ていません

ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク
 「太陽系最後の日」
  アーサー・C・クラーク  ハヤカワ文庫


「2001年 宇宙の旅」で有名なアーサー・C・クラークの日本版オリジナルの短編集。
過去に出版された短編集に収録されているものもあるが、新訳となっているので、以前の訳と比べてみる楽しみもある。

中でも印象に残ったものは「守護天使」「コマーレのライオン」「破断の限界」の3作品。


「守護天使」は、後にほとんどそのまま「幼年期の終わり」の第1部になっている。

この作品では、「オーバーロード」と呼ばれる異星人が登場する。

その最高責任者の名前は「カレレン」
以前の訳や「幼年期の終わり」では「カレルレン」だったのだが・・・。

どちらが英語の発音に近いのか分からないが、「カレルレン」で刷り込まれている自分にとっては、「アレレ」という感じが終始、つきまとった。
ロバート・A・ハインラインの「夏への扉」に出てきた「文化女中器」(hired girl:ハイヤードガール。作中では、お掃除ロボット「ルンバ」の高級版のイメージ)という言葉を初めて見た時と逆の衝撃に近いものがあった。


「コマーレのライオン」は、はみ出し者の主人公の行動が停滞しているユートピアに大変化をもたらす、という話。
巻末の解説によると、こういう話はクラークお気に入りのネタらしい。
映画「マトリックス」によく似た部分があるが、発表されたのは1949年。パクッたとしたら「マトリックス」の方だ。

そういえば、映画「インディペンデンス・ディ」の冒頭は、「幼年期の終わり」の冒頭に非常によく似ている。
(ちなみに「幼年期の終わり」の方がはるかに先に発表されている)
予告編を見た時、「幼年期の終わり」が映画化されたのか、と思ったほどだ。当然、パクリ疑惑が囁かれた。

狙われているのか、偶然の一致なのか・・・。


「破断の限界」は極限状態に陥った人間の葛藤が描かれている。
事故で酸素の大半を失った宇宙貨物船。酸素の量は2人で20日間分、目的地へは30日かかる。救助の船はとても間に合わない状況。
「2人」で20日間、「1人」だったら?。

クラークの作品では、登場人物の心理描写は淡々としていることが多いのだが、珍しくドロドロ系だったのが印象に残った。
どちらをとってもイヤな選択肢しかない、という状況になったら、どちらかを選択できるだろうか。


クラークのSFは、随分、読んだが、それでも初めて読む短編が多かった。このシリーズは後2つある。
そちらも気になってしまった。

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巨匠の共作にして遺作

「最終定理」
 アーサー・C・クラーク
 フレデリック・ポール
   小野田和子(訳)
  早川書房



SFの二大巨匠、アーサー・C・クラークとフレデリック・ポールの共作。そしてアーサー・C・クラークの遺作でもある。

「フェルマーの最終定理」というのは、
3 以上の自然数 n について、

x^n + y^n = z^n
(xのn乗+yのn乗=zのn乗)

となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない、

という定理のことである。


問題文自体は単純そのもの。

実際、n が2の場合、この式は、中学で習う「三平方の定理(ピタゴラスの定理)」そのものである。

だが、17世紀に出された問題は、1995年になって数学者のアンドリュー・ワイルズがようやく証明した。
(それも150ページもの枚数を用いた証明)
なお、「フェルマーの最終定理」を証明するまでの数多くの人物の苦闘は、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」に詳しい。


主人公は、そのフェルマーの最終定理をワイルズの証明より簡潔な方法で証明できるはず、と信じて捜し求める。
また、それとは別の次元の話だが、核の力を手にした人類を「危険」とみなした異星人が人類の抹殺を配下に命じて、地球へ派遣する。

ちなみに人類抹殺を命じた異星人は、クラークの作品によく出てくる「物理的な体を持たない意識だけの存在」である。今回は「グランド・ギャラクティクス」という名前だ。
なじみがない名前なので、勝手に「幼年期の終わり」に出てきた「オーバーマインド」と読み替えていた。


(以降、ネタバレあり)


この作品には個人的に少々、不満がある。一言で言えば、あまりに楽観的すぎるのだ。

作品の中で世界各国は、あちこちで小競り合いを繰り返しているが、それを解決する方法として登場するのが、最新の特殊兵器を持つ、国連の組織による介入だ。
なんだか「沈黙の艦隊」や「ガンダムOO」を連想してしまう。
具体的には、電磁波爆弾を用いた「ケンカ両成敗」である。(電磁波爆弾を使うのは、電子機器だけをダメにするため)

これにより世界から少しずつ紛争は少なくなっていく。(ドロドロの国際政治の裏舞台の取引といったものは、残るが)


が、正直、これには楽観的すぎる、という気がする。

「電磁波爆弾」
が開発されれば、当然、次にくるのは
「電磁波爆弾を防ぐ装置」
で、その次は、
「電磁波爆弾を防ぐ装置をものともしない電磁波爆弾」
で、お次は、
「電磁波爆弾を防ぐ装置をものともしない電磁波爆弾を防ぐ装置」
 :
(以降、同様のため省略)
 :
と、延々といたちごっこが続くというのは、容易に想像できる。

それに兵器の開発競争が起こらなかったとしても、それを使う組織が未来永劫、腐敗しないとは断言できない。
(物語の中でもそれを防ぐ仕組みは整えられているが、それでも自然法則ではなく、人間が決めたルールでしかないので、いつか穴があくだろう)

フレデリック・ポールの作品は読んだ事はないが、アーサー・C・クラークの作品に共通して言える事は「科学の進歩への楽観的な期待」というものがある。
今回は、頭に「超」をつけたくなるほどだった。


と、ここまで、否定的な事ばかり書いてしまったが、いい意味で裏切られた点が一つあった。

当初、「フェルマーの最終定理」と異星人の(人類を抹殺しようとする意思を持った)来訪がどのような関わりを持つのか、と思ったが、実のところ、何の関係もない。

タイトルの「最終定理」とは、「フェルマーの最終定理」のことではないのだ。
それどころか「フェルマーの最終定理」の証明は、物語上、あまり重要な位置を占めていない。
(主人公が大きな名声を得る出来事なので、重要と言えば重要だが・・・)

別の「最終定理」が異星人の来訪と関わってくるのだ。(ちなみに、その「最終定理」は、科学とは全く関係ない)
むしろ、この「最終定理」が世界の紛争を解決するために必要な事だ、ということを言いたいために、ツッコミどころ満載の「特殊兵器」とそれを使う団体を登場させたのかもしれない。

再会と別れ

「遥かなる地球の歌」
 アーサー・C・クラーク ハヤカワ文庫



太陽のニュートリノ観測により、太陽の寿命が考えられていたよりはるかに短い事が判明。

人類は胚やDNA情報を載せた播種用宇宙船を建造し、次々と新天地へ送り出す。
その新天地の一つである惑星サラッサでは、新しい人類が誕生し、安定した社会が作られていた。

そして、長い平和が続いた後、サラッサの軌道上に一隻の宇宙船が現れる。

それは地球に残った最後の人々を載せた宇宙船マゼラン号だった・・・

「ファースト・コンタクト」というより、大航海時代の西洋人と南洋の島々に住む人々との出会いに近い。
惑星サラッサは、ほとんどが海、陸地は島が2,3つほど、という設定で、その島も実際の南洋の島々をモデルにしていると思わせる。

マゼラン号が惑星サラッサに立ち寄った目的は、光速の数%という速度で移動する宇宙船を守るための「バリア」の材料を補給すること。
ちなみにその「バリア」というのは「氷」

幸いマゼラン号の乗組員は、サラッサ人と友好的に出会い、補給作業も手伝ってもらえることになった。
ただし、必要とする氷は、10万トン。

さすがに作業には、チョイチョイと終わるようなものではなく、2年ほどかかってしまう。
これだけの期間があれば、何が起きるかは容易に想像がつくだろう。

マゼラン号の乗組員とサラッサ人の色恋沙汰等のトラブル、乗組員の反乱・・・

しかも宇宙船の名前からして「マゼラン号」であるし、反乱を企てる人物の名前は「フレッチャー」(バウンティ号の反乱者のリーダー)だったりする。
(この事は、物語中で触れられている)
ちなみに「マゼラン号」の目的地の惑星の名前は「セーガンⅡ」は、天文学者のカール・セーガンが由来。その他、人の名前などでは、いろいろ「遊び」が感じられる。

そして、人間同士の問題だけでなく、サラッサの海の中にも謎めいた先住生物がいる事が判明する。
ただ、この件は、あってもなくても物語上、あまり影響はないので、どうも取って付けたような感じがする。
本作はもともと短編から何度か書き直されているので、その辺りが影響しているのかもしれない。

全体として「ドロドロ」というより「サラリ」とした感じで終わってしまうのだが、だからと言って「つまらない」というわけではない。
特にタイトルと同じ名前の章は、さすがは大御所、という感じだった。

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