小人閑居

「ベストセラー」より「知る人ぞ知る」といった本を紹介していきたいと思います。

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拍子抜け

ブルーシティー
 星野之宣
  メディアファクトリー


宇宙ステーションと隕石群との衝突事故が発生。
これが全ての始まりだった。

地上に落下した宇宙ステーションには未知の病原体が潜んだ隕石が付着していた。
しかも病原体は、人間にとっても、動物にとっても、致死性の上、感染力が非常に高かった。
あっという間に病原体は地球全域に蔓延し、地上の生物は、ほぼ全滅してしまう。

わずかに残った地上の人類は、意図的にオゾン層を破壊、紫外線で自らと共に未知のウィルスを焼き払う「人類自決作戦」を決行。
ウィルスは死滅したものの、地球に残ったのは海の生き物と海底実験都市ブルーシティーに住む2万人だけ、となってしまう。

人類再建を目指すブルーシティーに次々と危機が迫る・・・。

本作、実は未完。

一応、話はまとまって終わるが、
「本当の戦いは、これからだ」
と、どこかのマンガ雑誌で、人気のないマンガにありがちなラストと同じような終わり方を迎えてしまう。

ちなみに本作は1975年に初出。
それを考えると、作者はおそらく続編を書く気はないのだろう。

前半は息もつかせぬハードな展開の連続、(しかも大仕掛けで)手に汗握る。
残念だったのは、後半から。

実は「黒幕」がいた、という展開になるのだが、前半の大仕掛けがすべて「黒幕」個人の仕業(きっかけを与えただけだが)だった、というのが、急にスケールが小さくなってしまったようで、拍子抜けしてしまった。
また、「黒幕」自身も、「ありきたりな悪役」で魅力に欠ける。

ハードSFだと思って読んでいたら、B級SFだった、という感じだった。
最初から、B級SFだと思って読んでいれば、感想は違ったかもしれない。

「続編」に期待すべきだろうか?
そもそも描かれないかもしれないが・・・。
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怪奇大作戦風の8エピソード

はるかなる朝
 星野之宣
  メディア・ファクトリー


星野之宣の短編SF集。
「はるかなる朝」
「荒野への脱出」
「落雷」
「水のアマゾネス」
「ホワイト・アウト」
「冬の帝王」
「イワン・デジャビュの一日」
「アリス」
の8編からなる。
また、最後に本人による解説もある。

この巻では比較的ブラックなエピソードが多い。

個人的には「ホワイト・アウト」「冬の帝王」「アリス」が好みの話。

「ホワイト・アウト」はアムンゼンと南極点到達を争ったスコット隊に起きた奇妙な話。
アムンゼンとの競争に負けた事を知り、失意の帰路についたスコット隊。
が、「ホワイト・アウト」と呼ばれる現象が起こる度にコースから外れ、奇怪な現象を目の当たりにする・・・。

奇怪な現象は現実なのか、極限状況に追い詰められた者が見た幻覚なのか。

本作ではスコットが冷酷な人間として描かれている。
ゴーグルをつけっぱなしなので、表情が分からず、不気味。
言動からすると、正気を失っている、ともとれる。

自然の猛威(とそれに伴う奇怪な現象)とスコットの冷酷さの二重の恐怖がジワジワとくる。

「冬の帝王」はロシア王朝末期の秘話という設定。
歴代のロシア皇帝達の申し送り事項「氷の中の竜」

氷漬けで死んでいるはずなのだが、それを目にした者達に「竜」は語りかける。
正確には「語りかける」というより、「取引」を持ちかけるのだが、その内容は、この「竜」の名にふさわしい、恐ろしい内容。

この「竜」の名は「暴君竜」という漢字が使われるティラノサウルス。
漢字の名前が本作のミソ。

「アリス」は、人間の脳を巡るミステリー。
平凡なOLのアリスの身に異常が起きる。
突然、幼児のようなわがままな行動を取ったり、目の前に「不思議の国のアリス」の登場人物たちが現れたりなど。

その謎を握るのは、過去の事件と、その時、治療にあたった医師だった・・・。

人間の脳の「力」を考えると、もしかしたらありそう、と思えてくるのは、作者の「勝ち」だろう。

発禁マンガ?

エル・アラメインの神殿
 星野之宣
  メディア・ファクトリー


星野之宣の戦争がテーマの作品を集めた短編集。

巻末に本人による解説があるが、その中の一文。
「自国の兵器に対して、故郷の山河の名や勇ましいイメージのニックネームをつけて頼もしい味方のような幻想を抱かせられるが、兵器は兵器、
最後は生身の人間を裏切るもの」
という言葉が印象に残った。

全体の3分の2ほどは、星野之宣らしい、ハードSFであるが、いい意味で裏切られたと感じたのは次の2編。
「国辱漫画」
「国辱漫画2 G.H.Q」

解説によると、以前、ある作品の中で日本軍の残虐行為を描いたら、「自虐史観」に毒されているのか、と著者より若い(と思われる)
読者からもらったのをきっかけとして、「自虐」ではなく「国辱」なら文句はないだろう、と描いたものらしい。

しかも「国辱漫画2 G.H.Q」の方は雑誌に載せるのは断られた作品。

星野之宣の劇画タッチで、ハチャメチャなギャグをやるので、クセになりそう。
(今まで読んだ星野作品の短編の中にもギャグはあったが、今回の2編は、かなり強烈)
徹底的に日本をバカにした内容となっているので、「自虐史観」という言いがかりがよほど腹に据えかねたものとみえる。

眉間にしわを寄せて、「○○!」と大声で叫んでいるナショナルな人達を見ると、ついつい、からかいたくなる。
小心者なので実際にはできないが・・・。
それだけに、こういうユーモア(今回はブラックユーモアだが)で、スマートに反論する人には拍手を送りたい。

第3弾も書きたい、と語っているが出版社に「あれだけはやめてくれ」と言われているらしい。
それだけに発表されたら、是非、読みたいと思う。

Sukosi Fushigi(SF)な物語

スターダストメモリーズ
 星野之宣
  スコラ漫画文庫シリーズ


星野之宣のSF短編集。
宇宙探査の最前線や未知の惑星、生物に向かい合う人々を描いた作品が多い。

今まで読んだ著者の作品はハードSFばかりだったが、この巻では、SFコメディ作品も収録されている。
しかも、完全に遊んでいるような作品からブラックユーモアまでバラエティに富んだ内容。

全体として、どこか藤子・F・不二雄のSF(「少し不思議」の略)短編のテイストを感じさせる作品が多い。

印象に残ったのは次の作品
「セス・アイボリーの21日」
「ウォー・オブ・ザ・ワールド」
「ターゲット」
「大いなる回帰」

「セス・アイボリーの21日」
主人公セス・アイボリーの乗る宇宙船が不時着した惑星は生物時計の進み方が異常に早い惑星。
セスの体は、わずか2日で10年は老化してしまっていた。
救助隊が来るまで21日間かかる。が、この星では、それまでに老衰で死んでしまう。
セスが取った方法とは?

この結果を「救助された」と言っていいものかどうか、と思ってしまった。

「ウォー・オブ・ザ・ワールド」アメリカの古いB級SF映画への愛にあふれた(?)作品。
星野之宣はハードSFや宗像教授シリーズのような作品ばかり、と思っていたが、短編とは言え、こういった作品があることは知らなかった。
農家のおやじのシニカルなモノローグがたまらない。

「ターゲット」
こちらもコメディ作品だが、ブラックユーモアの色合いが強い。

巨大隕石が地球へ直撃するコースにあることが発見される。
このときばかりは、年中、いがみあっていた大国同士も一致団結して、隕石を破壊する。

だが、地球直撃コースにある隕石は、これ一つだけではなかった。
一つだけでもかなり珍しいのに、なぜ他にも・・・。

最後のページで思わず、ニヤリとしてしまう作品。

「大いなる回帰」
2061年のハレー彗星接近を目前にした世界が舞台。

だが、ここで、さらに次のハレー彗星の接近時、地球に直撃する可能性がある事が判明する。
そこで、今回の接近時、ハレー彗星の近くで、核ミサイルを爆発させ、彗星の軌道をわずかにずらし、太陽に飛び込む軌道に乗せる計画が立ち上がる。

彗星こそが生命の母胎(パンスペルミア仮説)と考えている主人公と、その父は悩む。
「生命の母胎を消滅させてしまってよいのか?
 だが、やらなければ(遠い将来)地球に直撃してしまう」

主人公が決断した方法とは・・・。

過去に戻ってやり直し

未来からのホットライン
 星野之宣
 J・P・ホーガン(原作)


時間を逆行する未知のエネルギー「タウ波」を発見した老物理学者チャールズ・ロス。
これを利用して、過去にメッセージを送信する機械を開発する。

が、現在のところ、最も過去の時点でも60秒前にしかメッセージは送れない。
ロス博士は機械の出力を上げ、さらに過去(目標は1日前)にメッセージを送る事ができるように改良するため、孫のマードックと、その友人リーを呼び寄せる。

そして、その実験中、思いがけない事が判明する。
60秒後からのメッセージを受信した後、自分達がそのメッセージの送信をキャンセルした場合、最初のメッセージは「なかった事」にならない。
つまり、未来は複数ある、という事。

もう一つは、過去の自分に、これから起こることを警告し、過去の自分がその対策を取れば、未来を変える事ができる、という事。
(未来の自分からみれば、過去を書き換える事になる。)

SF作家ならば、必ず扱わなければならないと言われる「時間をテーマにしたSF」に挑んだJ・P・ホーガンの「未来からのホットライン」を星野之宣がマンガ化した作品。
原作の方は読んだ事がないので、違う点を比較しながら、という楽しみ方はできなかった。

「あの時、ああしておけばよかった。戻れるものなら戻って、やり直したい」と思った事がない人はいないと思う。
だが、それが現実にできるとなったら、本当にやり直すだろうか?

5分前に起きた事が、やり直せるなら、気軽にやるかもしれない。
だが、1ヶ月前、1年前、10年前だったら?
しかも、過去にやった間違いだけを訂正するのではなく、その後に起きた全ての事が影響を受けても、やり直すだろうか?
良い事も含めて、訂正した過去より後に起きた事が、すべて「なかった事」になる可能性があっても?

そう考えると、怖くて、過去を変える事には躊躇してしまう。

しかも「人間万事塞翁が馬」という言葉もある。
今の時点で、過去を振り返り、「間違い」だったと思える事があったとしても、将来、その事が「良い結果」を得るのために必要な事かもしれない。
うっかり過去の「間違い」を修正したために、未来の「良い結果」を逃してしまう事もありえる。

そんな時は、さらに未来の自分が警告を送ってくる事に期待したいが、もしかしたら未来の自分は、ボケていて、まるで見当違いの警告を送ってくる事も考えられる。
そうなってくると「転ばぬ先の杖」につまづくような話になってしまう。
やはり可能だとしても、過去は変えない方が身のためか。

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