小人閑居

「ベストセラー」より「知る人ぞ知る」といった本を紹介していきたいと思います。

Articles

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「懐かしさ」ではなく

ジブリの教科書3
 となりのトトロ
  ジブリ×文春文庫


スタジオジブリ作品の裏話&考察を行う”ジブリの教科書シリーズ”「となりのトトロ」編。

「となりのトトロ」は劇場公開時、あまり興行成績が良くなかったらしい。
が、今ではスタジオジブリのマークにも使われるほど「出世」している。
(ちなみにスタジオジブリ作品のキャラクターグッズの売上も、トトロがダントツだそうだ)

「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」のような「重さ」がなかったせいか、宮崎駿監督自身も楽しみながら作っていた、という。
(「ナウシカ」や「ラピュタ」は「楽しい」よりも前に「苦しい」があったそうだが)

そういう気分が作品に反映されたからこそ、「派手さ」はないが、長く愛される作品になったのかもしれない。

「となりのトトロ」では、よく「懐かしさ」が強調して語られる。

が、インタビューの中で監督は
「あの時代が懐かしいから作ったんじゃありません。
やはり子供達があの作品を見たのをきっかけにして、ふと草むらを駆けたり、ドングリを拾ったりしてくれないかなとか。
もう本当にわずかになっちゃったけど神社の裏側にもぐって遊んでくれないかなとか、自分の家の縁の下をのぞきこんでドキドキしてくれないかなとか、そういうことなんですよね。」
と語っている。

そのためか、プロの目から見ても、「となりのトトロ」の背景は、かなり精密に描かれているらしい。
草や土の匂いまでしそうなほど。

映画を見た後、実際に監督の望み通りの事をした子供が何人いただろうか。
きっと、そのうちの何人かは「トトロ」を見た、と言ったに違いない。

ところで、「トトロ」は何者なのだろう。

「神」と呼ぶには身近すぎる存在のように思えるし、「お化け」や「妖怪」と言うには愛嬌がありすぎる。
(ネコバスなら「猫又」のイメージがあるせいか、「妖怪」という言葉が一番近い気がする)
「妖精」や「精霊」だと、西洋的すぎる。
(海外では「森の精霊」と紹介されている所もあるそうだが)
もちろん「怪物」ではない。

実際のところ、生みの親の宮崎駿監督にとっても「よく分からない存在」らしい。

「神」ほどの力は持っていないが、それなりの力は持つ存在。
「お化け」や「妖怪」のように害を与えるものではない。

ざっくり「アニミズム的な何か」と言えるかもしれない。
が、ニュアンスが少しずれている感じもする。

一番、しっくりくるのは「森の主(ぬし)」
森に住み、森と共に生き、森がなくなると、何処かに行ってしまう存在。

そういう事を考え始めると「となりのトトロ」公開時のコピーが、心に響く。
「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」

最後の「たぶん」が、いらなくなる日が来るだろうか。
スポンサーサイト

児童文学の系譜

ジブリの教科書2
 天空の城ラピュタ
  ジブリ×文春文庫


スタジオジブリという会社が発足してから、初の作品となるのが「天空の城ラピュタ」
個人的にはジブリ作品の中で、一番好きな作品。

登場するロボット兵がルパン三世(セカンドシリーズ)の最終回に出てきた「ラムダ」にそっくり、というのもある。
ちなみに「ラムダ」自体、アメリカのアニメ版のスーパーマンに出てきたロボットが元になっているらしい。
(ルパン三世(セカンドシリーズ)の最終回の冒頭自体がよく似ているが・・・)

閑話休題

劇中ではロボット兵は何も語らないが、その行動が多くのものを語っている。

ヒロイン、シータがラピュタ語で「我を助けよ」と言うと、周囲の被害を省みず、シータを守ろうとしたり、誰も住む者のいないラピュタでお墓に花を供え続けていたり、と与えられた命令にひたすら忠実。
ロボット兵は大きな力を持っているが、命令の意味を考える能力はない。

命令を与える者次第で、永遠の整備士、墓守人にもなったり、兵器にもなったりする。

それを言ってしまえばラピュタ自体も同じ。
それ自体には「善」も「悪」もないが、それを使う者によって、「善」にも「悪」にも成り得る。

本書の中でラピュタを原発になぞらえて、論じている人もいるが、それは分からないでもない。
自分では
”「やれるから」ではなく「やるべきか」で考えた方がいい。
「やれるから」で突き進んだラピュタ人が辿った末路は・・・”
と受け取っていた。

ところで、本書で面白かったのは、「天空の城ラピュタ」を児童文学の流れの中で捉えようと論じていた部分。
児童文学では主人公が孤児というパターンが多いらしい。

作品中で「動かしやすい」という現実的な理由があるのと同時に、「家族」をテーマにする時、もってこいの設定だからという理由もある。
その意味ではパズーもシータも、まさにこのパターン。
そして、「家族」は、空中海賊ドーラ一家。
事実、物語後半のドーラはパズーとシータの「母親」そのものだった。

また、「ナルニヤ国物語」や「指輪物語」のように「子供が世界を救う」という件も共通している。
(「指輪物語」のフロドは設定上、50歳だが、ホビット族は小人なので、子供のイメージとして)
世界を救った訳ではないが、「宝島」でも大活躍したのは、主人公ホーキンズ少年だった。

ストーリーが一番似ているのは「宝島」だろうか。
当初、敵だった海賊シルバーは途中から主人公達と共闘。
シルバーは、ラストで財宝をくすねて去るが、この部分だけに注目すると、ドーラ一家とパズー、シータの関係とそっくり。

「天空の城ラピュタ」自体を論じているものは多いだろうが、こういう視点から論じているものは初めて読んだので新鮮だった。

矛盾を抱えた大変人

ジブリの教科書1
 風の谷のナウシカ
  ジブリ×文春文庫


「宮崎駿」の名前を聞いて、その顔か、作品名が出てこない人は、ほとんどいないであろう。
その「宮崎駿」の名前を一躍、有名にしたのは「風の谷のナウシカ」だと言える。

その「ナウシカ」の製作裏話(平たく言えば、当時のドタバタぶりの暴露)と、アニメとは全く関わりのない評論家、作家などによる「ナウシカ」の論評から成る。
前者だけなら内輪ウケの話だけになるので、ファンの間では盛り上がるだろうが、そうでない人には全くチンプンカンプン。
後者だけだったとしたら、堅苦しいし、時に的をはずした論評が掲載される始末になる。
(実際、ある人の論評での王蟲の解釈には、「?」となってしまった。
 ただ論者自体、専門外ではあるので、「ご愛嬌」といった程度のもの)

両方が一冊の本にまとまっているのは珍しい、と思ったので手に取った。
(それ以上に「宮崎駿」「ジブリ」のブランドネームにやられたのだが・・・)
ナウシカのモデルと言われている、「堤中納言物語」の「虫めづる姫君」と「オデュッセイア」の「ナウシカア」が登場する一篇まで収録されているのが面白い。

「風の谷のナウシカ」は「宮崎アニメ」ではあるが、スタジオジブリが作ったものではない。
スタジオジブリは「ナウシカ」公開後に、設立されたのだ。

そのせいか、前半の裏話的な部分では、会社組織に囚われない、かなり自由な雰囲気が伝わってくる。

もちろん、宮崎駿をはじめとして、中核となるスタッフはほとんど(同じ会社ではないが)会社組織に所属している。
が、それぞれの持っているエネルギー量が大きすぎるのか、はみ出している感じがする。

「○×会社に任せよう」
ではなく
「○×会社の△△さんに任せよう」
なのだ。

大袈裟に、カッコよく例えるなら「水滸伝」で梁山泊に集まってくる人物達のよう。
そして、その中心にいる宮崎駿という人物は、かなりの「変人」
「監督」である前に「作家」である、という感じの人。

「ナウシカ」で、実際にセル画などの作成を行った会社のスタッフは、映画の公開後、ほとんどが辞表を提出する、という事態に陥ってしまったそうだ。
宮崎駿という人物は、かなりの「変人」らしい、というのは薄々、感じていたが、ここまでとは思わなかった。

が、そうでなければ、ここまで有名な監督にはならなかっただろう、とも思う。

また、「変人」であると同時に、かなりの矛盾を抱えた人でもあるらしい。
「ナウシカ」の企画の際、会社から「原作のないアニメはリスクが高い」という旨の事を言われて、まず「ナウシカ」のマンガの連載を始める事になった。

が、「マンガを描くなら、マンガでしか表現できないものを目指す」と、映画にする事を忘れたかのような事も言い出したとか。
結果、「ナウシカ」は映画版とコミック(全7巻)版の2種類、存在することになった。

映画版はコミック版の2巻目までの内容と言われているが、ほぼ別物と思った方がいいらしい。
(コミック版は読んだ事がないので)

論評も、映画版を踏まえて述べているものと、映画版とコミック版を一緒に語っているものがあるので、知らないと「?」となるかもしれない。
コミック版について、断片的な情報であれば、ネットにも転がっている。

が、やはりコミック版の内容が気になってしまう・・・。

Paging Navigation

Navigations, etc.

About This Website

/
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。