小人閑居

「ベストセラー」より「知る人ぞ知る」といった本を紹介していきたいと思います。

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スーパーマンの3条件

中年スーパーマン 左江内氏
 藤子・F・不二雄
  小学館


ある日、スーパーマンを襲名することになってしまった万年係長の左江内(さえない)氏。
その活躍を描く「中年スーパーマン左江内氏」
一緒に収録されているのは、マンガ家を目指し、上京してからの約20年間を繰り返し生き続ける男を描いた「未来の想い出」

「中年スーパーマン左江内氏」は、ある日、突然、スーパーマンになった、という点では「パーマン」を連想させる。
が、この作品でスーパーマンになったのは、年下の上司がいる中年の万年係長。

スーパーマンを襲名することになった理由も、次の3条件を満たす人物であったため。
その条件とは
1.最大公約数的常識家
2.力を持っても大それた悪事のできぬ小心さ
3.ちょっと見、パッとしない目立たなさ

この条件は代々のスーパーマンが後継者を選ぶ際の条件として言い含められているらしい。

左江内氏は、スーパーマンを継ぐという話を最初は(当然)断る。

その時の先代スーパーマンのセリフがふるっている。
「(スーパーマンとしての仕事は、会社の仕事との兼ね合いで)テキトーにやればいい」
「スーパーマン一人がいくら頑張っても、この世の悪は根絶できっこない。
カバーできる範囲はタカがしれているので、昼休みとかトイレのついでにちょこちょことやればいい」

思わず力が抜けてしまうが、「この世の悪は(力で)根絶できる」と勘違いした某宗教団体や自称「世界のリーダー」の某国がしでかした事と比べると、はるかに柔軟な考え方とも言える。

藤子・F・不二雄のスーパーマンネタの短編は
「ウルトラスーパーデラックスマン」
「わが子、スーパーマン」
の2編がある。
どちらもブラック・ユーモアの作品で、今にして思うと、両作品の主人公は「3条件」のどれかが欠けていた。

左江内氏でさえ、一度だけイライラのはけ口にスーパーマンの力を使ってしまった事があった。
しかも、その時、暴力の快感に酔ってさえいた。
(すぐ我に返って反省したのが左江内氏らしいが)

「大きすぎる力」は、人を狂わせてしまうのだろう。
・・・とすると、スーパーマンが後継者を選ぶ時の「3条件」の意味するところは、意外に奥が深いのかもしれない。

ちなみに最終回で、左江内氏は自分のやっている事に疑問を持ち、悩んでしまう。
が、それを救う特別ゲストとして「あの人」が登場する。

「あの人」の
「百人寄れば、百の正義がある」
という一言に左江内氏はショックを受けるが、実際には、その通り。

全体的に、オブラートに包んではいるが、チクッと皮肉の効いた作品、という印象を受けた。
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藤子・F・不二雄 [異色短編集]4
 パラレル同窓会
   藤子・F・不二雄  小学館文庫


藤子・F・不二雄ミュージアム開館記念、という事で、勝手に始めた「短編集を読み直す」キャンペーンも今回が最後。

収録作品は次の通り
「値ぶみカメラ」
「女には売るものがある」
「同録スチール」
「並平家の一日」
「夢カメラ」
「親子とりかえばや」
「懐古の客」
「パラレル同窓会」
「コラージュ・カメラ」
「かわい子くん」
「丑の刻禍冥羅(カメラ)」
「ある日」
「四海鏡」
「鉄人をひろったよ」

今回はブラックな内容の作品は少ない。

これまでの巻のいくつかの作品で不思議な未来の道具を売るセールスマン(ヨドバ氏)が登場していたが、その素性が「懐古の客」で明らかになる。
このヨドバ氏の登場する作品は藤子・F・不二雄版の「笑うせえるすまん」なのだが、ドジで頼りなさそうなので、喪黒福造とは大違い。
それどころか、どこか「のび太」を彷彿とさせる。

「値ぶみカメラ」「同録スチール」「夢カメラ」「コラージュ・カメラ」「丑の刻禍冥羅(カメラ)」「四海鏡」はヨドバ氏の売り込むカメラにまつわるエピソード。
カメラのエピソードがこの巻に集中しているのは意図的な編集なのだろうか。

その中の「コラージュ・カメラ」は、このカメラで撮った写真を専用の機器で簡単に合成できる、というもの。
パソコンやデジカメが普及したので、今なら、ヨドバ氏のカメラを使わずとも誰でもできるようになってしまった。(上手くできるかどうかは別として)
この作品が発表されたのは 1982年。今のデジカメやパソコンによる画像編集の事を見事に「予言」している。

「パラレル同窓会」は一生に一度、すべてのパラレルワールドの自分が一同に会し、「同窓会」を開く、というもの。
しかも折り合いがつけば、別の世界の自分と世界を取り替えることも許されている。

大なり小なり「あの時、ああしておけばよかった」と思う事がない人はいないだろうが、一生に一度だけ、実際に違う選択をした世界に行けるチャンスがあるとしたら・・・
違う世界で違う立場の自分を見てみたい気もするが、同時にコワイと思うのも事実。
ましてや「取り替える」となると尻込みしてしまう。少々のデコボコはあっても、結局、今の世界が一番いい、と思う。

・・・そもそも、こんな「自分」同士から「取り替えよう」という話自体が出ることもないだろう。

SF(少し不安)な物語

藤子・F・不二雄[異色短編集]3
 箱舟はいっぱい
   藤子・F・不二雄  小学館文庫


収録作品は次の12作品。

「箱舟はいっぱい」
「権敷無妾付き」
「イヤなイヤなイヤな奴」
「どことなくなんとなく」
「カンビュセスの籤」
「俺と俺と俺」
「ノスタル爺」
「タイムマシンを作ろう」
「タイムカメラ」
「あのバカは荒野をめざす」
「ミニチュア製造カメラ」
「クレオパトラだぞ」

初めて掲載されたのがいずれも青年誌のため、ブラックな内容が多い。


「イヤなイヤなイヤな奴」
長距離宇宙貨物船は、閉ざされた空間内で、同じメンバが長期間、顔をあわせ続けているため、
次第に全員が異常な精神状態になっていく事が多い。
そのために会社がとった防止策は・・・。

「共通の敵」がいる時が一番まとまる、というのは、まさにその通り、としか言いようがない。
が、その「共通の敵」が見えなかったり、身近に感じられなかったりする「目の前に見える」ものでなかったりすると、逆に全然、まとまらない。
どこかの国のセンセイ達が見事に証明してくれたのは記憶に新しい。


「どことなくなんとなく」
いつもと変わらぬ日常が続いているはずなのに、何か違和感を感じる。
起きる事の一つ一つは全く何もおかしい所はない。むしろ、なさすぎる所に疑問を感じる主人公。

今、現実だと思っている事が実は夢でしかない、という「胡蝶の夢」(あるいは映画の「マトリックス」)のような話が本当だったら・・・
よく考えると読んでいて不安になってくるような作品。


「カンビュセスの籤」
究極の選択を迫られる怖い話。
一人さえ生き残れば、クローンなどの技術で人類は再生できる、と言われても、そんな状況に耐えられるか、まったく自信がない。
というより、耐えられない自信がある、と言った方がいいかもしれない。


「ノスタル爺(じい)」
太平洋戦争の終戦を知らず、孤島のジャングルで30年暮らしていた主人公。
奇跡的に発見され、日本に戻るも、故郷はダムの底に沈んでいた。

近づける所までは近づこうとすると、水の底に沈んだはずの村が目の前に広がっていた。
なぜかは分からないが、主人公は過去の世界に行ってしまったのだった。

過去の世界では、ひどい待遇を受けてしまうが、それでも、過去に残る決心をする主人公。
「現在」とは接点がほとんどなくなってしまった主人公にとっては、「過去」が「現在」なのだろう。

ラスト、ひどい待遇にも関わらず、失った「過去」で暮らす主人公の満足そうな表情が印象に残る。

良薬、口に苦し

藤子・F・不二雄 異色短編集2
  気楽に殺ろうよ
    藤子・F・不二雄
     小学館文庫


藤子・F・不二雄の短編集。短いものは数ページの作品もある。

「ミラクルマン」
「大予言」
「老雄大いに語る」
「光陰」
「幸運児」
「安らぎの館」
「定年退食」
「サンプルAとB」
「休日のガンマン」
「分岐点」
「換身」
「気楽に殺ろうよ」
「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」
13作品が収録されている。(「サンプルAとB」は原作のみ)

単行本のタイトルだけを見るとかなりブラックな内容と想像できるが、実際にブラックな話は半分ほど。

「大予言」
短い作品だが、一番、コワイ内容。1976年に発表された作品だが、今、読んでも色褪せていない。
ラストで預言者が孫を抱いて言うセリフ
「もう予知してあげる未来がないんだよ」
という言葉がズシッとこたえる。

「定年退食」
国家の扶養能力を超えてしまうほど人口が増えた未来。
法律で「定年」を定め、その年齢を迎えた人のうち、一定数以外の人は、年金などの国家の保障を打ち切られる。

かなり残酷な内容だが、不思議と生々しさがない。あまりの事で現実感がわかないのか、絵柄のせいなのか。
それともわざとそのようにして、その落差をねらったのだろうか。

「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」

異色短編集の1巻にあった「わが子スーパーマン」と同様の話。
ただし、今回は「超能力」を持ったのは大人。「わが子スーパーマン」では子供ならではの無邪気さがあったが、こちらの話では主人公の「邪気」が露骨になっている。

なぜか超能力を身につけてしまった主人公(外見は他の作品にもよく登場するラーメン好きの小池さんそっくり)は、「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」を名乗り、「悪」と戦いはじめた。
が、ただのひったくりでも犯人の命を奪うほど情け容赦なく、それを批判したマスコミも(物理的に)つぶすなど、次第に暴走を始める。

制限を受けない巨大な力は「独善」にしか走らないのだろうか。

核兵器すらものともしないウルトラ・スーパー・デラックスマン。もはや誰にも止められない、と思われたが、意外にあっさり命を落としてしまう。
無敵のウルトラ・スーパー・デラックスマンも自身の体内のウルトラ・スーパー・デラックスがん細胞の増殖を止める事はできなかったのだ。

批判を受けるのは気持ちのいいものではないが、聞く耳を持たなくなったら、お先真っ暗だ。

黒い藤子・F・不二雄

藤子・F・不二雄 [異色短編集]1
 ミノタウロスの皿
   藤子・F・不二雄


藤子・F・不二雄の短編集。
「オヤジ・ロック」
「じじぬき」
「自分会議」
「間引き」
「3万3千平米」
「劇画・オバQ」
「ドジ田ドジ郎の幸運」
「T・Mは絶対に」
「ミノタウロスの皿」
「一千年後の再開」
「ヒョンヒョロ」
「わが子スーパーマン」
「コロリころげた木の根っ子」

これまで感想を書いていたのは「SF」短編集だったが、今回は「異色」とタイトルに付くだけあって、ブラックな内容の作品が多い。
印象に残った作品は次のもの。


「劇画・オバQ」
「オバケのQ太郎」のセルフパロディ。大人になったQ太郎が正ちゃん達に会いにくる話。
絵柄も劇画調になっているのが、面白い。
一番、現実的、と思っていたハカセが大人になって一番、夢想家だった、というのが意外。


「ミノタウロスの皿」
藤子・F・不二雄の短編によく出てくるパターンの一つ、「立場を入れ替えてみる」シリーズ(?)の作品。

宇宙船の故障で不時着した星は、人間(そっくりの)種族が牛(そっくりの)支配階級に「家畜」として飼われている世界。
「家畜」ということは、いつか支配階級に食われる、ことになる。だが、その「家畜」の人々には、食べられる事が最高の
名誉だ、と考えられている、という話。

主人公は人間(そっくりの)種族を食べる事は「残酷だ」と支配層の牛(そっくりの)種族に訴えるが、全く理解されない。
「彼等には相手の立場で物を考える能力がまったく欠けている」と主人公は、ぼやくが、この主張、単語を入れ替えると、
いつか、どこかで聞いた事がある話になる。

偶然の一致なのか、意識的なものなのか・・・。


「わが子スーパーマン」

自分の子供がスーパーマン並みの能力を持っていることがわかったら?
しかも「善」と「悪」を判断するのは、小学生。

強大な力を持っている正義感の強い(強すぎる)小学生。
ヒーローもののマンガなら、問題ないが、実際にいたらどうなるか。

いや、現実の世界でもこれに近い事をやっている国がある。

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