小人閑居

「ベストセラー」より「知る人ぞ知る」といった本を紹介していきたいと思います。

Articles

文系人間ですから・・・

「数学でつまずくのはなぜか」
  小島寛之  講談社現代新書


「文系人間ですから」という人は、大抵、数学の何かの分野で授業に
ついていけなくなったのだろう。
ちなみに自分は「幾何・解析」のあたりで、数学を諦めた。

受験勉強で数学を気にしなくてもよくなった時は、かなり清々しい
気持ちになったものだ。

数学から開放されて、数年後、何がキッカケになったのかは、もはや
覚えていないが、数学に関する本を時々、読むようになった。
「尻を叩かれて」ではなく、「興味の向くままに」だと見える世界が
まるで異なり、「数学というものは、こんなに面白いものだったのか」
と改めて思うことがしばしば。
(基礎知識が足りないため、十分理解できない、というケースは
 あったが・・・)

「試験を受ける必要がない」
「途中で投げ出しても、後で何も困らない」
という「気楽さ」があるのは間違いない。
が、それだけでもない気がする。

学校で教える数学は、ルールを覚えさせることが、まず第一。
これが分かることが、どんなことに繋がっていくか、どんな世界が見えて
くるのか、というのを伝える事はしない。
一部の先生は、そういう事もやって、数学に興味を持たせようとしている
かもしれないが、少なくとも教科書には、そのような事などは書いて
いない。

ならば、数学に興味を持たせるようにすればいいのに、と漠然と考えて
いたが、事はそんなに単純な話でもないらしい。

数学教育関係者は「数学はこんなに約に立つ」と主張する傾向があり、
数学者は「数学はこんなに自由でファンタスティックだ」と主張する
傾向があるそうだ。

ただ、著者によれば、どちらも子供たちが抱える「数学の忌々しさ」と
かみあったものでない、という。
「数学の忌々しさ」とは、一言で言って、「規範としての数学」という
面である、と言っている。

数学はいろいろなルールを厳格に子供たちに課すが、子供たちにして
みれば、なぜそんな厳しいルールに縛られなければならないか、簡単
に納得できないためであるという。

ルールに従順な子供は、比較的、数学の成績がいいが、ルール自体に
納得しなければ、気の済まない子供は、数学の才能があったとしても、
学校制度が要求する枠からはみ出してしまう事が多いのだ。

実際、「落ちこぼれ」の烙印を押されてしまった子供でも、数学的な
考え方が理解できない、という訳ではないのだ。
中には、数学オリンピックにも出場できるほどの才能を持っている
子供もいるらしい。

人より、納得するまでに時間がかかるが、その間にも学校の授業は
どんどん進んでいってしまうため、「落ちこぼれ」扱いされてしまう。
そんな子供たちをひろってあげられる、もしくは仮に数学の才能は
なくとも別の才能を見いだすのが、理想なのだろう。
が、今は個人、または小規模なグループの活動だけに頼っているようだ。
これが大きな動きになっていって欲しい、と思う。
スポンサーサイト

「無限」は続くよ、どこまでも

「無限を読みとく数学入門
  世界と『私』をつなぐ数の物語」
    小島寛之  角川ソフィア文庫



子供の頃、大きさを比べあっていた時、お互いムキになって大きさがエスカレートした挙句、

「無限」

が出てきて、

「無限より大きい」

とか

「無限より10大きい」

とか言いはじめ、最後に

「無限より無限、大きい!」

などという言葉が飛び出したことがあった。

「こっちの無限の方が濃度が大きい」
と言うべきだったが、おバカな小学生だった自分にそんな難しいセリフが言えるはずもない。


ところで、この「無限」とは一体、何者なのだろう。

「自然数の個数は無限」というのは誰でも分かる。
が、「偶数と奇数の個数は?」と問われたら、答えは「無限」である。
偶数、奇数は自然数の数より少ないはずなのに、どちらも「無限」。

では、「無限」-「無限」=0なのか、というと、これは成り立たない。

とても奇妙な「無限」。
ここまでくらいなら、まだ「奇妙」で済むが、もっと突き詰めて考えていくと、とんでもない
「怪物」を呼び起こしてしまう。

「無限」を考える上での問題点が数学の公理にまで飛び火するのである。

この問題を解決すべく(これだけがきっかけではないが)「数学のすべての定理を論理
的に導ける公理群」を考察する「ヒルベルト・プログラム」が鳴り物入りで始まるが、
思いがけない結末が待っていた。

(ちなみに「公理」というのは、証明なしで正しいと認める事柄で、例えば、A=B ならば
 A+C=B+C であるといったようなもの。
 これを認めないと何も始まらない、とでもいうべきもので、「定理」は「公理」から
 導き出されるもの)


オーストリアのクルト・ゲーデルによって示された答えは、
「数学は、自分の無矛盾性を
  自分で証明することはできない」

というもの。

衝撃の結末であった。
が、だからといって、即、数学が使い物にならない、ということにはならない。

ピタゴラスは「万物は数(有理数)である」と言ったが、そのピタゴラス自身、
有理数でない数(=無理数)の存在に気がついていた。
だが、そのおかげで円周率を 3.14 にすべきか 3,14159 にすべきか、
はたまたその間にすべきか、悩まずに済んだ。

また、平行線についての第5公理
「一つの直線が二本の直線と交わり、同じ側の内角の和が2直角より
小さいならば、これらの二直線を限りなく延長すると、二直角より小さい角の
ある側で交わる」
はガウス、ボヤイ、ロバチェフスキーにより証明できないことが証明された
ことにより、「非ユークリッド幾何学」(曲面上の幾何学)が生み出されることになった。

否定されることによって、あらたな可能性が花開いたのだ。


本に書かれている内容がすべて理解できた、とは言えないが、「入門」と
タイトルについているだけあって、複雑な計算式などは出てこない。

また、変わっているのは最後の1章が「無限」をテーマにしたSFになっていること。
いきなりここから読んでも面白いが、やはり、少々、難しいところがあっても
最初から読んだ上で、最後の章を読んだ方が楽しめる。

一時は、久しぶりに「理解不能」な本を買ってしまったか、と心配になったが、
どうにか「消化不良」程度で済んだ。
ふぅ、あぶない。

Paging Navigation

Navigations, etc.

About This Website

/