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ヘタウマ文化論
 山藤章二
  岩波新書


タイトルに「文化論」と銘打っているのだが、実際は「ヘタウマ」をテーマにとりとめもなく考えた事が書かれたもの。
ハードな論考を予期していると、肩透かしをくらう事になる。
が、肩の力を抜いて気楽に読めるので、いい意味で期待を裏切られた。

ところで、本書のテーマとは関係ないが、「あとがき」は著者自筆の文字がそのまま掲載されていて面白い。
著者からの私信が届いたような感じがする。

閑話休題。

「ヘタウマ」という言葉には明確な定義はないが、著者の言う「ヘタウマ」は「ウマく」できる人が、わざと「ヘタ」に見えるようにすること。

ヘタな技が逆に独特の味になって、評価されてしまうのとは異なる。
技を極めた者が、わざわざ折り返してきて、スタート近くに戻ってきているような状態。

前者は本人でさえ、なぜ評価されているか分からない「運」の要素が大きいのに対し、後者は名人が「計算ずく」でやっているのがミソ。

一度、ウマくなった人がわざとヘタに見せるのは想像以上に難しいらしい。
ウマくなるために努力した結果を捨てなければならないのだから、精神的な葛藤もありそうだが、それ以上に身に付いた技を崩そうとしても、体の方が崩してくれないそうだ。

考えなくてもウマくできるようにしてきたのだから、急にヘタにやるようにと思っても、なかなかヘタにできるものではないだろう。

印象に残ったのは、伊東四郎との対談の中で出てきた
「定型があるから崩す面白さがある」
という言葉。

「定型」の方は、とかくワンパターン、古臭い、単調とか敬遠されがちだが、「基本」であることは確か。

自分自身は「定型」さえ極めてない身だが、
「定型を極めていないが、偶然面白く見える技」

「定型を極めた上で、わざと崩している技」
の違いは理解できるようになりたい。
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テーマ: 読書感想 - ジャンル: 本・雑誌

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